早稲田大学 人間科学学術院 教授 原 太一/Taichi Hara

ニュートリゲノミクスの
研究がもっと進めば
今まで以上に人々の
健康促進に貢献できる。

原 太一教授に聞く、
ニュートリゲノミクス研究の未来

Q0:先生はどんな研究を
なさっているのでしょうか?

A: 食習慣から疾患予防を図り、健康寿命を延伸するために、遺伝子発現解析を活用して食品の機能性を探索・解明する基礎研究を行っています。

Q1:「遺伝子発現解析」という言葉は
よく耳にしますが、
遺伝子の情報を
調べる有用性とは何なのでしょうか?

A:確かに昨今のコロナ禍で、遺伝子とそれにまつわるものは私たちにとって、身近な存在になりつつあります。

去年、絶滅した人類のゲノムと進化に関する発見でノーベル生理学・医学賞を受賞したスバンテ・ペーボ博士は、実は遺伝子発現解析で、古代人の遺伝情報と新型コロナ感染症の関連性も調べています。彼の研究チームは、2020年に新型コロナ感染症の患者3000人以上を対象に分析した結果、重症化リスクを増加させることが確認された遺伝子が、古代人であるネアンデルタール人から引き継がれたもので、この遺伝子を持つ人ではリスクが倍増すると発表しました。そして、翌年行われた新型コロナ感染症に感染して重症化した患者2200人余りの分析で、同じくネアンデルタール人から引き継がれた、別の遺伝子がある人では、逆に重症化が22%抑えられることを明らかにしました。このような研究結果に対して、ペーボ博士は「およそ4万年前に絶滅したネアンデルタール人の免疫システムが、現代の私たちに良い意味でも悪い意味でも影響を与えているのは驚くべきことです」とコメントしています。 実際、PCR検査のような遺伝子発現解析の応用が世間に知られるようになり、いろんな場面で遺伝子とそれを調べる技術は私たちの生活に役立ちます。一方、研究の世界では、遺伝子の情報、活動パターンを調べれば細胞でどのような反応が起きているかが簡単に分かりますので、遺伝子発現の流れに応じて様々な技術を使って解析することが重要なポイントです。

ニュートリゲノミクスは、
分子レベルでの解析を可能にする
新しいアプローチ

Q2:先生は食品の機能性について
研究なされているとのことでしたが、
この研究分野と遺伝子発現解析には
どのようなかかわりがあるのでしょうか?

A:遺伝子発現解析は食品の機能性を評価するための新しいアプローチ方法として注目されています。

食品の機能性を評価するためには、従来の方法では特定の機能に対して個別に解析する必要がありました。例えば、ラジカル消去能を測定するキットを用いた試験では、抗酸化作用しか検証できませんでしたし、脂肪細胞の細胞内脂質を染色する試験では、抗肥満作用しか検証できませんでした。このような従来の方法では、解析結果から食品に関する機能が発見される保証はなく、試験の実施に高いリスクがありました。そこで注目されるのが、遺伝子発現解析です。食品による細胞や組織における遺伝子発現の変動を網羅的に解析し、その動きから機能性を見出します。このような手法はニュートリゲノミクスと呼ばれ、遺伝子発現解析 (トランスクリプトーム) のほかにも、タンパク質発現解析 (プロテオーム)、代謝物解析 (メタボローム) を組み合わせることによって、分子レベルの網羅的な機能性の解析を実現します。

Q3:新しいアプローチとしての
ニュートリゲノミクスとは、
どのような手法でしょうか?

A:食品の機能性を分子レベルで網羅的に解析する手法です。

そもそも、ニュートリゲノミクスとは栄養 (ニュートリション) と解析法 (ゲノミクス) を組み合わせた造語です。
体内では特定の刺激に応じて遺伝子、RNA、タンパク質、代謝産物および腸内細菌が変動しています。これらの総体的な変動を解析する学問は、それぞれゲノミクス・エピゲノミクス、トランスクリプトミクス、プロテオミクス、メタボロミクス、メタゲノミクスと呼ばれ、食品を摂取したときに、これらがどのように変化するかを研究する学問がニュートリゲノミクスです。ニュートリゲノミクスは、現在までにバイオマーカーの同定や食品の機能性の理解に活用されており、私たちも食品の機能性を研究するうえで活用しています。先述した従来の方法と異なり、特定の機能性だけを検証するわけではなく分子の総体的な動きから機能性を見出すためリスクが低く、また、未知の機能性の発見に役立っています。また、一般に、食品は多様な成分の複合系であるため、特定の機能性成分が含まれていても、その機能性は共存するほかの成分との物質レベル (たとえば加工・調理の段階) や、生体レベル (たとえば消化、吸収、代謝の段階) での相互作用により、時には相乗的に、時には相殺的に、さまざまなモダリティーをもって発現することが多いです。さらに、医薬品と違って食品では、1つの成分に複数の機能が兼ね備わっていることが少なくありません。多機能性の成分を含めた食品のこうしたヘテロな複雑性を考えるとき、その研究に“個”ではなく“群”を解析するニュートリゲノミクスをまず採用することには大きな意義があります。

機能性の“見える化”を実現

Q4:ニュートリゲノミクスは
実際どのような場面で
応用されているのでしょうか?

A:ここでは、「機能水」の研究を紹介したいと思います。

これまでのマウスやラットを用いた研究では、機能水の摂取によりアルコールの肝臓傷害が軽減されることが報告されていました。アルコールは細胞内の活性酸素種 (ROS) の産生を介して細胞傷害を引き起こすことが知られています。しかし、ROSの消去活性を有する機能水がアルコールによる肝臓傷害を抑制するメカニズムについては解明されていませんでした。そこで、我々は機能水がアルコールの代謝に関わる酵素に作用することで毒性代謝物の産生やROSの産生を抑制し、アルコール性肝細胞傷害を抑制することを明らかにしました。これは従来の方法で機能性を個別に評価しましたが、さらに分子レベルのメカニズム解明や新規機能の探索を目指して、網羅的なニュートリゲノミクス解析を実施しました。細胞に機能水を作用させた際に、どのような遺伝子が活性化しているかをすべての遺伝子を対象にRNA-seq、つまり発現プロファイリング解析を行い評価しました。そして、発現が変動した遺伝子のクラスター分析を行ったところ、普通のお水と機能水は遺伝子発現に与える影響が異なることが判明しました。ここに示しているヒートマップでその結果が一目瞭然ですが、これほどの差が見られることに驚きました。これこそ我々が目指している「機能性の見える化」を具体化した研究です。

Q5:先生の研究室が行っている
最新の研究をご紹介いただけますか?

A:最近、私たちのラボでは、緑茶成分であるEGCGの機能性探索を行っています。

エクソソームという細胞から分泌される細胞外小胞の生体内における作用の研究が近年進められていて、情報伝達分子として知られています。特に腸由来のエクソソームは、常に微生物や食事由来の抗原にさらされていることによって、腸管免疫のバランスに寄与すると言われています。そのため、抗原である食品成分が腸管上皮細胞によって認識されることで、エクソソームが放出され、標的となる組織の受容細胞に対して生理作用を及ぼす可能性も考えられます。実際、エクソソーム内包のmicroRNAのサブセットを標的とした研究報告はありますが、エクソソーム中のタンパク質に対するEGCGの影響の研究知見は乏しいです。そこで、EGCGによって変化するヒト腸管上皮様細胞由来エクソソームをプロテオミクスプロファイリングにより系統的かつ包括的に解析しました。その結果、EGCGによって特徴的なタンパク質がエクソソーム内で発現することで、ノーマルのエクソソームとは機能性の異なるエクソソームが分泌する可能性が、バイオインフォマティクスによる生物学的機能の解析から示唆されました。今回、食品と腸由来エクソソームタンパク質の包括的な応用の可能性を広げる知見が得られましたが、腸管上皮様細胞由来エクソソームが、受容細胞に対して本研究の解析結果に関連した機能を発揮するかは今後の検討課題です。

今後ますます期待されている注目の研究

Q6:ニュートリゲノミクスを利用した
食品開発の実例はありますか?

A:私たちのラボでは、病気の予防や生理機能の調節に寄与するオートファジーを活性化させる食品の開発において、トランスクリプトーム解析の技術を活用しました。

オートファジーとは、細胞が自身の持つ様々な成分を分解する仕組みであり、生体では、老化や免疫などの生理機能に影響を及ぼすことが明らかとなっています。近年、オートファジー研究は注目を集めており、生活習慣病やがんなど疾患の発症との関連性が報告され、未病分野においても大いに期待されています。本来であれば、このような新規機能を探索・特定するために、様々な細胞・動物試験を行う必要があります。しかし、今回の食品開発では、mRNAを測定することができるトランスクリプトーム解析を用いて、遺伝子の発現状態を網羅的に解析し、気になった遺伝子発現をしたところのみに着目した細胞試験を行いました。そのため、いわゆる「機能性のスクリーニング」にかける時間が削減され、開発がスムーズに進みました。この方法は、まだまだ世の中に広がっていない開発方法だと思います。ただ、この開発方法が一般化されれば、今まで以上に多くの健康食品が世の中に溢れ、人々の健康促進に貢献してくれるだろうと考えています。

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